shychicken’s.com

アニメ・映画・ドラマ好きのオタクチキンがお送りします

山椒と一番の趣味の話

かなり寝かせていた記事です。

牛乳をかける女の話で大体わかりそうなもんだけど、、

 

土用の丑の日以来、

余った山椒をどうにかできないかと考えた末、

「何にでも山椒をかける女」に成り果てました。

(「何にでも牛乳をかける女」パロ)

 

チドリです。

山椒にハマりました。

 

流石に漬物とかさっぱりしたものにはかけませんが、痺辛がたまりません。

不健康が加速しますが、油っこいものとかにもいいですね。

 

さて、こうしてまたブログに戻ってきたのですが、

毎回ブログに戻ってくる時は

「文章書きたいな〜、なんでも良いから書きたいな〜」

と思っていることが大半です。

 

文章を書くのに飽きたり

(でもやっぱりまた書きたくなる)

忙しくなったらまたお休みします

 

でも思えば、一番長く続いてる趣味が

「文章を書く」でした。

 

本好きが講じてなにか書きたくなり、

日記や物語は小学生の頃から書いていた気がします。

 

とはいえ毎日書いているわけではなくて、

日記は今みたいに気が向いたら書くスタイルです。

それこそ、A5より一回り小さい200ページ位の日記帳を、

約3年かけて漸く一冊書き終えてました。

 

三日坊主を繰り返して書き終えた頃に、

読み直しては「もう少し書いておけばよかったな」とも思います。

 

その後、気持ち新たに1年分が書ける分厚い日記帳を買ったら、

数ページで箪笥の肥やしになりました。

何年かかけて開いたりもしましたが、やはり続きませんで。

 

しかもその頃には他所でブログを書いていたので、

紙の日記帳に書かなくなってしまいました。

(とはいえ、そのブログも年に数回の更新でしたが)

 

物語は幸いにも小学生の頃から家にPCが使える環境でしたので、

メモ帳やWordでそれなりに書いていたようです。

 

断言できないのは、書いた記憶はあっても内容は覚えていないからで、

「別人が書いたのでは」と思うこともあります。

個人が形成される前と後だったのではないかと思う位に記憶がないのです。

 

当時は今よりは読書家だったからか、

昔の作品を発掘すると表現の仕方や言い回しは

小学生の割には、と数年後我ながら感心していました。

(可愛げがないとも言いますし、見せられるものでもないですが)

 

とはいえプロットなんて存在も知らず、

書きたいところだけ書いたので、完結した作品は片手で数えても指が余るほど。

でも書くのが楽しかったんだろうな、とは読んでて思います。

 

自分が書いたものを読み返すなんて、とは自分でも思います。

恥ずかしくて閉じるときもあります。

ただ、記憶が無いほど忘れると別人が書いたような気がして0から読めるので、

昔の作品はよく読めるのです。

 

アルバムを見ている気分と同じなのかもしれません。

逆に、誰かに見せるのは恥ずかしい気がして見せられません。

 

そもそも「自分の意見を誰かに言える」ようになったのもここ数年のことで、

大学生の時に「できるようにならないと、これから困るだろう」と思って

意識したことの1つでした。

 

それもあって自分の作品を世に出そうとか、どこかに応募したりとかは

殆どしてませんでした。

正直、行動できないまま今を生きています。

 

昔は将来の夢に小説家を思う程に憧れていました。

もしくは本を作る仕事に就きたいと思っていました。

でも、先に書いたように自分を外に出せずにいたので、そりゃ夢も叶えられず。

今は全く違う仕事をしながら、趣味で好きなように何かを書いています。

 

肩書や仕事にこだわらず、

自分の好きなものがはっきりとしていて、

それができれば幸せなんだな、と気づいた話でした。